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ともに人生を語らう友を求めて さすらいの親鸞学徒 つれづれなるままに
善知識・同行に親しみ近づけ
「善知識・同行には

   親しみ近づくべし」

親鸞聖人のお言葉です。

無上の法をお聞かせくださる善知識に大いに親しみ近づく

ちょっとした世間話からでも、仏法の教えをお話しくださいますから

この上もない尊いご縁となります。

その善知識のご教導のもと、共に光に向かって進みましょうと

励まし、助け合っていくのが御同行・御同朋です。

無上の道だからこそ、つらく苦しいこともあります。

一人ではくじけそうになることもありましょう。

そんな時

「ここでくじけては、何のために生まれてきたか判らないじゃないか。

出世の本懐を果たすまでは、共に頑張ろう」と

時に厳しく、時に優しく、手を差し伸べる法友のおかげで

どれほど力をもらったか知れません。

親鸞学徒の、固い団結で、苦難の嵐を乗り越え

共に光明輝く浄土を目指しましょう。
鯛の料理はどっちがいい?
ふだんは中のよい夫婦なのに、ある日突然大ゲンカ。

前を通った近くの隠居、驚いて仲裁に入る。

「何をケンカしていなさるんじゃ」

血相変えた奥さんが言う。

「鯛の料理は、何がいいかで、ケンカしとるんです」

ほう、で、奥さんは?

「鯛の料理は、塩焼きに限ると言うとるんです。

鯛の塩焼きなら、ゴハン何杯でも食べれますよね」

ふん、確かに、鯛の塩焼きはうまいのお。

「こら、隠居、お前、こんな女の肩をもつのか」

ほう、ご主人、あんたはどうなんじゃ?

「鯛の料理は、刺身に限る。鯛の刺身で一杯飲んだらウマイじゃろ」

ああ、鯛の刺身はうまいのお。

「隠居さん、こんな人の言うこと聞いてはだめじゃないですか」

ちょっと、奥さん、待ちなさい。それなら一つ考えがある。

鯛の片身を刺身、片身を塩焼きにしたらどうじゃ。

これなら、一匹の鯛で、刺身も塩焼きも食べれるじゃろ。

「ははあ、そうか。さすが隠居、ダテに歳はとておらんわい」

いらんこと言わんでもいい。さあ、ことのついでじゃ。

その鯛をここに持ってきなさい。これでも昔は包丁握っておったワシじゃ。

今すぐ、片身を刺身、片身を塩焼きに料理してやろう。

頭としっぽは、ケンカの仲裁料にもらうとしようか。

さあ、ここへ鯛を持ってきなさい。

「いやあ、隠居さん、困りました」

何が困るか。

「あのお、その鯛が、ないんです」

えっ?さっきまでそのことでケンカしておったんじゃないのかい?

「実は、向かいの家の娘、そろそろ嫁入りでしょう。

婚礼の引き出物に、鯛を持ってくるかも知れんでしょう。

その鯛を、もらったらどうするか、という話をしておったんです」

何?もらったら?そんなもん、もらえるかどうかもわからんのに。



隠居さん、呆れて帰ってしまったそうな。

それはそうです。まだもらってもいない鯛、もらったら、という話、

アテにはなりません。



世間でも「死んだらお助け」「死んだら極楽」と言って

喜ぼうとしている人たちが多いですが、

そんなもの、死んでみなければ分かりません。

アテにならない話で、無理やり喜ぼうとしても、喜べるはずがありません。

1億円の宝くじ、当たったらと思って慶べ、と言われても、ねえ。


親鸞聖人の教えは、平生業成、この世で救うというのが弥陀の本願です。
アホの兄弟
アホで有名な兄弟がいました。

弟が、庭で、夜空に向かって、ほうきを振り回しています。

兄貴がやってきて

「お前、何してんねん」

弟は、ほうきを振り回しながら

「お星さま、落とそうとしとるんや」

呆れた兄貴が言った。

「アホか。そんなんで落とせるか。貸してみい」

ほうきを受け取った兄貴は、屋根に登って言った。

「お星さま落とすにはなあ、こうするんや」

屋根の上でほうきを振り回す兄貴を見ながら

二人の父親が出てきて、言った。

「さすが、兄貴は違うなあ!」

親子そろって、アホやった、というお話。


仏様の仰せに対して、凡夫の浅智慧で、アレコレ文句言っているのは

ちょうどほうきを振り回して星を落とそうとしているようなもの。

如来聖人は、深遠な御心から、

私たちの救われる唯一の道を教えてくだされています。

朝晩のおつとめ
「正信偈」は親鸞聖人のじかのご説法であり

「御文章」は蓮如上人のご教導であります。

朝晩、拝読させて頂く勤行を、親鸞学徒は欠かしてはなりません。

仏教では「五正行」と教えられています。

五正行とは、阿弥陀仏に救われる為に大切な五つの行です。

読誦正行、観察正行、礼拝正行、称名正行、讚嘆供養正行

そのすべてが、朝晩の勤行に収まっています。

欠かさず、実行させて頂きましょう。
柳川市民会館での仏縁
「人身受け難し 今すでに受く

 仏法聞き難し 今すでに聞く」
        (釈尊)

せっかく生まれ難い人間に生まれても、

人生の目的を明示された仏法を聞ける人は、はなはだまれであります。

お釈迦様はそれを、「ヒマラヤ山の頂上から糸を垂らして

ふもとの針の穴を通すよりも難しい」と教えられました。

その聞き難い仏法を聞けたということは

どれほど喜んでも、喜びすぎることはありません。

先日の、柳川市民会館では、ほぼ5年ぶりの開催でしたが、

チラシを折込み、さらに手配りにも回られた結果

無上仏のご念力によって、会議室にあふれるほどの方が、

仏縁を結ばれました。

午前のみならず、午後にも続けて聞かれた方がほとんどでした。

尊い仏縁を結ばれたことを、喜ばずにおれません。

これらの方々に、いかにして、続けて真実の法を徹底していくか。

いっそう奮起したいと思います。

「深きみ法にあいまつる

 身の幸何にたとうべき」

       (真宗宗歌)

なお、6月は10日(日)の予定です。

前回よりも広い、会議室を会場にしたいと思います。

どうぞ、ご参詣ください。
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