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ともに人生を語らう友を求めて さすらいの親鸞学徒 つれづれなるままに
お仏壇は先祖まつるところでしょ。えっ、違うの?
久留米で縁正の方の質問に答えていて、やはりと思いました。

「お仏壇にどんな気持ちで参ればいいのですか」

という質問でした。その方は

「お仏壇は、先祖をまつるところ」

という思いだったのです。他にもそういう方が多いでしょう。

しかし、浄土真宗では、お仏壇には、

無上仏、阿弥陀仏を御本尊としてご安置致します。

先祖の霊に手を合わせるのではなく、無上仏を礼拝するのです。

まず、この点をハッキリさせる必要があります。


阿弥陀仏に、では何を助けて頂くのか。

それは、生死の一大事、後生の一大事の解決一つと、教えて頂きます。

それはまた人間に生まれてきた目的、絶対の幸福に救われるということです。

今日一日、生きる目的も、それ以外にはない。

そう心を定め、お勤めをし、五正行をさせて頂くところがお仏壇です。


先祖の霊に手を合わせている、と思っていては、

そんなこと思いもしないし、考えもしません。

「お仏壇には、阿弥陀仏がご安置されているのですよ」

まず、ここをハッキリさせねばなりません。
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有っても無くても同じく苦しい~
「有れば有るで苦しみ

 無ければ無いで苦しむ。

 有無同然である」    (釈尊『大無量寿経』)

金や財産、地位や名誉など、無ければ無いで苦しいですが

有れば有ったで、有ることが苦しみの原因になります。

「壁一重(かべひとえ)

 子 有って泣き

 無くて泣き」

江戸時代の長屋の風景を詠んだものですが、

今日でも、子供が有って泣いている人や、

子供が無くて泣いている夫婦もあります。

「社長はいいなあ」と部下はうらやみますが、

「楽は下にあり」とため息をつく人もいるのです。

金メダルをとったプレッシャーに負け、

以後成績が全く振るわなかった選手もあります。

「有無同然」をしみじみ知らされますね。

ホークスの小久保が、昨日から戦線離脱、2000本安打は

確かに大記録ですが、それを目前に、プレッシャーも大変でしょう。

野球といえば、盗塁世界一になった福本豊選手に、

国民栄誉賞が贈られる、という打診があったとき、

福本選手が言ったそうです。

「そんなんもろたら、立ち小便も、でけへんやないか」

名誉には、名誉の、重圧がありますよね。

ノーベル賞をもらい、一気に有名人になった田中耕一さんが、

早朝から深夜までの、取材攻勢に閉口して、

「こんなんなら、もらうんじゃなかった・・・」

とつぶやいたそうです。

無いのも苦しい、でも有ってもまた苦しい

苦しみの原因は、そこ以外にあるということです。

それを仏教では、無明の闇=後生暗い心と教えられています。

今日の筑紫野市生涯学習センターでの勉強会のテーマです。
善知識・同行に親しみ近づけ
「善知識・同行には

   親しみ近づくべし」

親鸞聖人のお言葉です。

無上の法をお聞かせくださる善知識に大いに親しみ近づく

ちょっとした世間話からでも、仏法の教えをお話しくださいますから

この上もない尊いご縁となります。

その善知識のご教導のもと、共に光に向かって進みましょうと

励まし、助け合っていくのが御同行・御同朋です。

無上の道だからこそ、つらく苦しいこともあります。

一人ではくじけそうになることもありましょう。

そんな時

「ここでくじけては、何のために生まれてきたか判らないじゃないか。

出世の本懐を果たすまでは、共に頑張ろう」と

時に厳しく、時に優しく、手を差し伸べる法友のおかげで

どれほど力をもらったか知れません。

親鸞学徒の、固い団結で、苦難の嵐を乗り越え

共に光明輝く浄土を目指しましょう。
鯛の料理はどっちがいい?
ふだんは中のよい夫婦なのに、ある日突然大ゲンカ。

前を通った近くの隠居、驚いて仲裁に入る。

「何をケンカしていなさるんじゃ」

血相変えた奥さんが言う。

「鯛の料理は、何がいいかで、ケンカしとるんです」

ほう、で、奥さんは?

「鯛の料理は、塩焼きに限ると言うとるんです。

鯛の塩焼きなら、ゴハン何杯でも食べれますよね」

ふん、確かに、鯛の塩焼きはうまいのお。

「こら、隠居、お前、こんな女の肩をもつのか」

ほう、ご主人、あんたはどうなんじゃ?

「鯛の料理は、刺身に限る。鯛の刺身で一杯飲んだらウマイじゃろ」

ああ、鯛の刺身はうまいのお。

「隠居さん、こんな人の言うこと聞いてはだめじゃないですか」

ちょっと、奥さん、待ちなさい。それなら一つ考えがある。

鯛の片身を刺身、片身を塩焼きにしたらどうじゃ。

これなら、一匹の鯛で、刺身も塩焼きも食べれるじゃろ。

「ははあ、そうか。さすが隠居、ダテに歳はとておらんわい」

いらんこと言わんでもいい。さあ、ことのついでじゃ。

その鯛をここに持ってきなさい。これでも昔は包丁握っておったワシじゃ。

今すぐ、片身を刺身、片身を塩焼きに料理してやろう。

頭としっぽは、ケンカの仲裁料にもらうとしようか。

さあ、ここへ鯛を持ってきなさい。

「いやあ、隠居さん、困りました」

何が困るか。

「あのお、その鯛が、ないんです」

えっ?さっきまでそのことでケンカしておったんじゃないのかい?

「実は、向かいの家の娘、そろそろ嫁入りでしょう。

婚礼の引き出物に、鯛を持ってくるかも知れんでしょう。

その鯛を、もらったらどうするか、という話をしておったんです」

何?もらったら?そんなもん、もらえるかどうかもわからんのに。



隠居さん、呆れて帰ってしまったそうな。

それはそうです。まだもらってもいない鯛、もらったら、という話、

アテにはなりません。



世間でも「死んだらお助け」「死んだら極楽」と言って

喜ぼうとしている人たちが多いですが、

そんなもの、死んでみなければ分かりません。

アテにならない話で、無理やり喜ぼうとしても、喜べるはずがありません。

1億円の宝くじ、当たったらと思って慶べ、と言われても、ねえ。


親鸞聖人の教えは、平生業成、この世で救うというのが弥陀の本願です。
アホの兄弟
アホで有名な兄弟がいました。

弟が、庭で、夜空に向かって、ほうきを振り回しています。

兄貴がやってきて

「お前、何してんねん」

弟は、ほうきを振り回しながら

「お星さま、落とそうとしとるんや」

呆れた兄貴が言った。

「アホか。そんなんで落とせるか。貸してみい」

ほうきを受け取った兄貴は、屋根に登って言った。

「お星さま落とすにはなあ、こうするんや」

屋根の上でほうきを振り回す兄貴を見ながら

二人の父親が出てきて、言った。

「さすが、兄貴は違うなあ!」

親子そろって、アホやった、というお話。


仏様の仰せに対して、凡夫の浅智慧で、アレコレ文句言っているのは

ちょうどほうきを振り回して星を落とそうとしているようなもの。

如来聖人は、深遠な御心から、

私たちの救われる唯一の道を教えてくだされています。

朝晩のおつとめ
「正信偈」は親鸞聖人のじかのご説法であり

「御文章」は蓮如上人のご教導であります。

朝晩、拝読させて頂く勤行を、親鸞学徒は欠かしてはなりません。

仏教では「五正行」と教えられています。

五正行とは、阿弥陀仏に救われる為に大切な五つの行です。

読誦正行、観察正行、礼拝正行、称名正行、讚嘆供養正行

そのすべてが、朝晩の勤行に収まっています。

欠かさず、実行させて頂きましょう。
柳川市民会館での仏縁
「人身受け難し 今すでに受く

 仏法聞き難し 今すでに聞く」
        (釈尊)

せっかく生まれ難い人間に生まれても、

人生の目的を明示された仏法を聞ける人は、はなはだまれであります。

お釈迦様はそれを、「ヒマラヤ山の頂上から糸を垂らして

ふもとの針の穴を通すよりも難しい」と教えられました。

その聞き難い仏法を聞けたということは

どれほど喜んでも、喜びすぎることはありません。

先日の、柳川市民会館では、ほぼ5年ぶりの開催でしたが、

チラシを折込み、さらに手配りにも回られた結果

無上仏のご念力によって、会議室にあふれるほどの方が、

仏縁を結ばれました。

午前のみならず、午後にも続けて聞かれた方がほとんどでした。

尊い仏縁を結ばれたことを、喜ばずにおれません。

これらの方々に、いかにして、続けて真実の法を徹底していくか。

いっそう奮起したいと思います。

「深きみ法にあいまつる

 身の幸何にたとうべき」

       (真宗宗歌)

なお、6月は10日(日)の予定です。

前回よりも広い、会議室を会場にしたいと思います。

どうぞ、ご参詣ください。
一升瓶にいっぱい?
一升ビンに、大豆をいっぱい入れて

「もう、入らんバイ」と思っていたら、

すき間に小豆を入れることができました。

「もーう、入らんバイ」と思っていたら、

すき間に米を入れることができました。

「さすがにもう入らんバイ」と思っていたら、

すき間に塩を入れることができました。

「どげんしたってもう入らんバイ」と思っていたら、

水を流し込むことができました。


「もうこれ以上できない」と「思って」、

自分でカベを作ってしまっていませんか。

「工夫しだいで、まだまだできる」

そう「思って」努力する。

そこに道が開けてきます。

仏教でいつも教えられているように

体の行い(身業)、口の行い(口業)より、

心の行い(意業)が、最も大事なのです。

心で思い続ける、念じ続ける。

それが、ものすごい力になるからです。
誰でも死んだら極楽って?
御文章の読み間違いというのは、やはりありますね。

先日もある方と話をしていたら、

「十人も、百人も、みな助かると、言われていますよね」

と自信もって言われます。どこにですか、と尋ねると

「御文章ですよ。十人は十人ながら、百人は百人ながら、

みな浄土に往生すべきこと、更に疑いなし、とあるでしょう」

と、暗記しておられます。

「その前には、何と書いてありますか」

と言って見てもらいましたら、ちゃんと、

「一念の信心、定まらんともがらは、十人は十人ながら・・・」

と書かれています。

信心決定した方は、みな助かる、と言われているのであって

信心決定していない人は、そうではありません。

「あらーーっ」と、ビックリされていました。

しっかりと、教えを聞かせていただかないと、

とんでもない聞き間違いをする、という一つの例ですね。
真宗難民に甘露の法雨を注ぎましょう
世界の光であるべき親鸞聖人の教えを伝えるべき仏教界の現状はどうでしょう。

「親鸞聖人の教えに、善のすすめはない」と放言し

自らもせず、門徒にも勧めていませんから

悪因悪果で、不幸や災難が続き、跡取りがいない、支える門徒が激減、

廃寺になるところも相次いでいます。

聖人の教えを聞きたい方は多いのに

どこに行っても聞くことができないと

さまよい求める、真宗難民、門徒難民が、増えています。

最近の聞法の集いでも、聖人の教えを、どこかで聞きたいと

探し求めておられた方々が、多く参詣されています。

幸いにも、真実を知らされた私たち親鸞学徒は、いまだ知らない方々に

お伝えする責任があります。

これを「自利利他」と言われます。

自分ひとり聞いておればよい、自分ひとり救われたらよい、というような

我利我利亡者であってはなりません。

自他ともに、永遠の幸福に活かされるところまで

求め抜きましょう。
生きるにはお金が必要、でもそのお金に振り回されてませんか?
金沢から東京へ行くには、いくつかルートがあります。

小松空港から飛行機だと22000円かかります。

JRで新幹線を使うと13000円

JRの高速バスだと8000円

ところが、最近の格安ツアーバスを使うと、

4500円、中には3500円、というのまであります。

「こりゃ、安い!」と、飛びつきたくなりますね。

ところがその格安ツアーバスが、関越道で事故を起こしました。

朝4時40分頃、ほとんどの乗客は、眠りの中だったようです。

ディズニーランドでの楽しい一日を夢見ながら。

亡くなった方が7人、重軽傷多数、楽しいはずの旅行が

一瞬にして、地獄絵図となってしまいました。


安く、手軽に、が売り物の格安ツアーには、

旅行保険などもちろんついていませんでした。

旅行会社、バス会社も、経費節減のため、運転手の人数を減らすなど

やりくりしていた中での、悲劇でした

生きる為に、確かにお金は必要ですが、

お金を節約する余り、命を削ってしまっては、本末顛倒です。

人生で、本当に大切なものは何か。

あらためて考えさせられる事故でした。
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