今日は、旧の近江町で、善導大師の有名な二河白道の譬喩について、
学びました。
親鸞聖人も、教行信証に、引用しておられ、その詳しい解説は、
愚禿抄にも、お書きになっておられます。
ちょうど、今日の会場となったお宅には、床の間に、
二河白道の譬喩の掛け軸がかけられておりました。
初めて参加された方も、じっとこの掛け軸に見入っておられ、
それについての解説に、聞き入っておられました。
或る人は、
「この絵は、前にも見たことあったが、三途の川を渡る絵だと
勘違いしていた。いやあ、聞かなきゃ分からんもんやなあ」
と、驚いておられました。
そうなんですね。
自分で勝手に、思い込んでしまっていることがあります。
長年、そう思っていますから、今更、誰かに質問しようとか
教えてもらうこともありません。
けれども、聞法を重ね、信心の沙汰で、大いに語り合うことで、
思わぬ聞き誤りをしていたことが知らされます。
「真宗繁昌の根元なり」と言われる、信心の沙汰。
大いにさせていただきましょう。
学びました。
親鸞聖人も、教行信証に、引用しておられ、その詳しい解説は、
愚禿抄にも、お書きになっておられます。
ちょうど、今日の会場となったお宅には、床の間に、
二河白道の譬喩の掛け軸がかけられておりました。
初めて参加された方も、じっとこの掛け軸に見入っておられ、
それについての解説に、聞き入っておられました。
或る人は、
「この絵は、前にも見たことあったが、三途の川を渡る絵だと
勘違いしていた。いやあ、聞かなきゃ分からんもんやなあ」
と、驚いておられました。
そうなんですね。
自分で勝手に、思い込んでしまっていることがあります。
長年、そう思っていますから、今更、誰かに質問しようとか
教えてもらうこともありません。
けれども、聞法を重ね、信心の沙汰で、大いに語り合うことで、
思わぬ聞き誤りをしていたことが知らされます。
「真宗繁昌の根元なり」と言われる、信心の沙汰。
大いにさせていただきましょう。
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