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ともに人生を語らう友を求めて さすらいの親鸞学徒 つれづれなるままに
8号線で見かけた車
彦根市内を走行中、国道8号線で、

「災害救助車両」と書かれた大きなトラックを見ました。

彦根インター方面に曲がっていきましたので、

これから東北関東大震災の救援に向かうのでしょう。

物資の支援は、今、懸命に行われており、

医療、通信、原発対策と、各方面はフル回転です。

私たち親鸞学徒も、果たすべき役割を全力で果たしたいと思います。

「生きよう!光に向かって」
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生きる目的は無い、なんてことになったらどうなる・・・と考える
今日は愛知川で、勉強会でした。

「なぜ生きる、人生の目的は何か」について

親鸞聖人の教えを学ばせていただきました。

少し前に、ある人が出した「人生の目的」という題の本に、

「人生の目的など、無い」と書いてありました。

またある都内の大学の教授が

「生きることに意味もクソもない」とも書いていました。

もし生きる目的など無い、生きる意味もない、ということなら、

今、全力で救助、救援活動にあたっている自衛隊員、消防、警察等の皆さんの

あの努力は、どうなるのでしょう。

不眠不休で治療に当たっている医療スタッフの苦労はどうなるのでしょう。

自治体の職員の方々の尽力は、どうなるのでしょうか。

皆で「生きる」ために、必死に努力しているのに

生きる目的は無い、生きる意味は無い、ということになったら

あまりにもそれらの人のご苦労を踏みにじることになりましょう。

「生きる目的はある。だから早く完成せよ」

親鸞聖人九十年の一貫したメッセージは、これ以外ありませんでした。

そういうことをあらためて学んだ、愛知川でのご縁でした。
果たすべき役割について考える
福島原発の問題について、最初は、東京電力だけで対応していて

大丈夫かよ、これじゃうまくいかないぞ、ということで、

自衛隊、消防、警察、さらには日立や東芝など、民間企業も

全力あげてバックアップして、というか、前面に出て行って対応。

なんとか沈静化に向かっています。

政治も、科学も、それぞれの果たすべき役割を、懸命に果たしています。

日本全国が、「今、自分のなすべきことは何か」と考えています。

世界の光・親鸞聖人の教えを聞き求める、われら親鸞学徒は、

何をなすべきか。私たちにしか果たせない大事な使命を

今こそ、全力で果たして行きたいと思います。

「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、

 よろずのこと皆もって空事たわごと

 真実あることなきに

 ただ念仏のみぞまことにておわします」(歎異抄)
防災グッズ 各地で品切れ 入荷は未定 について考える
東北関東大震災で被災された方へ、少しでも手助けをと、

有縁の方に呼びかけています。

現地ではさまざまな物資が足りませんが、少なからず、

こちら滋賀県でも、不足しているものが・・・。

たとえば、懐中電灯がありません。

それに使う単1の乾電池もありません。

しかも「入荷予定は、未定です」との案内が。

全国的に、品物を、被災地優先で届けようという動きの一環でしょうか。

それなら、それで、或る程度は、忍耐しなければと思います。

お互い、助け合っていきましょう。
仏教は仏教の役割を全力で果たしましょう
昨日は、琵琶湖畔のお宅で、大震災の様子を見ながら、

親鸞聖人の明らかにされた、なぜ生きる・人生の目的は何か

いっしょに学びました。


ある被災者の方が、インタビューで語っておられました。

「何もかも失った。これから何のために生きていけばよいのか・・・」

そういえば、阪神大震災の後でも、同じ言葉を聴きました。

「戦災で家財いっさいを失って、

 歯を食いしばって復興したのに、

 今度は地震で、すべてを失った。

 次は、何に向かって生きて行けばよいのか・・・」

たとえまた家を建てても、またどうなることか。

ここで、あらためて、「何のために生きるのか」について

誰しも考えずにおれないのです。


大震災にあった人だけでなく、すべての人が、

みな同じ疑問を抱えながら、生きているのです。

だからこそ、親鸞聖人から、なぜ生きる・人生の目的は何か

教えて頂いた私たちは、ご縁のある皆さんに、これをお伝えして

いかねばならない、重大な責務があります。

政治は政治で、経済は経済で、科学や医学も、それぞれの役割を

今、懸命に果たそうとしています。

我ら仏法者、親鸞学徒も、その使命を、全力で果たしていきましょう。

頑張りたいと思います。

大災害におもう
このたびの大地震にあわれた方々に、心からお見舞いを申し上げます。

できるかぎりのことを私もさせて頂きたいと思います。

「グラッと来て、30分後に津波が押し寄せて、

 それで何もかも、流されてしまいました。

 命だけは助かったけど、それが良かったのか、どうか」

インタビューに答えて、あるご婦人が語っておられました。

あっという間の出来事で、人生かけて積み上げてきたものが

またたくまに消えてしまった、そのお気持ちは、

とても余人の想像できるものではありません。

しかし、蓮如上人は仰せです。

「まことに死せんときは、かねてたのみおきつる妻子も財宝も
 
 我が身には一つもあい添うことあるべからず。

 されば死出の山路のすえ三途の大河をば

 ただ一人こそ行きなんずれ」(御文章一帖)

すべての人が必ず、すべてのものを失うときが来ます。

しかもそれは、早ければ、今日か、明日かも知れません。

この一大事あることを、仏教では教え続けられているのです。

心して聞かせて頂きたいと思います。
虎姫で歎異抄について語っている・・・時に、地震!!!
地震で、ビックリ!

午後2時46分、滋賀でも震度3を観測しました。

きょうは、虎姫のお宅で、歎異抄第一章について学んでいたときで、

参詣者の皆さんも、驚いておられました。

まさに、歎異抄の後序にあるとおり、

「火宅無常の世界は、よろずのこと皆もって、そらごとたわごと

 真実あることなし」

弥陀の本願のみがまことだと、痛切に感じました。

その後、大津波の激しさをテレビで見て、さらに驚きました。

まだまだ被害の全容は明らかになっていませんが、

自然の猛威と、無常の激しさを、知らされるばかりです。

東北・関東方面の皆さんの、無事を念じたいと思います。
テレビを見て真宗の未来を語り合う
録画していた番組を見ました。

NHKのクローズアップ現代「岐路に立つ寺」

中でこんなアンケート結果を出していましたよ。

「あなたは良いイメージがありますか?

  「仏教」に対して・・・・90%が「ある」

  「寺」に対して・・・・・25%が「ある」

  「僧侶」に対して・・・・10%が「ある」(東工大調べ)」

ということは、仏教は尊い、大切なもの、と9割の人が思っているが

寺院や僧侶に対しては、良いイメージがないわけです。

番組で、司会者も言っていましたが、

「寺離れ、ではあるが、仏教離れでは、ないんですね」

そうなんです。仏教、とりわけ親鸞聖人に対しては、多くの人が

尊敬し、その教えにふれたいと願っています。

問題は、それを伝える立場の人が、どーも・・・というワケです。

これは、しっかりしなければ!
坂本まで出かけて人生の悲哀を知る
きょうは、ある事情で、脳疾患から認知症となり、

坂本の病院に入っておられる方に面会に、行きました。

70、80、90代の方が入院され、車椅子でテーブルを囲み、

童謡をうたい、お遊戯をして、楽しそうにしておられました。

ところが、私が面会に行った方は、

その輪の中にさえ入られず、ソファにぐったりとされていました。

こちらの呼びかけに、「ああ」と答えられるだけです。

ついこの前まで、元気な方だっただけに、あの事故が、悔やまれます。

いつもは、外出される際に、こちらが車で迎えに行ってたのが、

「いや、今日は、自分で行くよ!」と元気に言われたので、

まあいいか、と行かなかった。

ところが、その時、乗っておられたバイクが、ダンプにあおられ、

転倒されて、頭を打ってしまわれたのでした。

その後、奥さんも亡くなり、たった一人の娘さんも体調を崩され、

なかなか見舞いに来る人もなく、さびしい老後を送っておられました。

耳元で、仏法をお伝えすると、

ニコッとされて、うなずかれたのですが、

ああ、もっとお元気なときに、お伝えしたかったと、思いました。

「仏法は若き時たしなめ。

 年寄れば、行歩も叶わず、なむたくもあるなり。

 ただ、若き時たしなめと候」(蓮如上人)
さざなみ街道で心のすがたを語る
さざなみ街道、とか、湖岸道路、とか、県道○号線、など

いろいろな名前で呼ばれていますが、

要するにびわ湖の周りを走る道路のことです。

布教に行く際、ちょっと遠方に行くならば、

この道を走ると、わりと早く着きます。

そのかわり、みんな飛ばすので、事故があったり、

この前も、スピード違反の検問をやっていました。


★でもって、つかまるとみんな

「オレだけやない。みんな、飛ばしとるやんか」

といって、くってかかったり、

「ああ、今日は、運の悪い日やなあ」

とボヤいたり、なかなか

「私が、悪かった・・・」

という反省はできないものです。

交通違反だけでなく、ほかのことでもどうでしょう。

本当に、「自分が悪かった」と思えるか。

「オレが苦しんでいるのは、アイツのせいだ、コイツのせいだ」と

他因自果にしていないでしょうか。

これを仏教では、「愚痴」といわれ、三毒の煩悩の一つに数えられています。

ゆえに、大宇宙の真理、因果の道理が分からず、

人をうらみ、のろい、苦しんでいます。

親鸞聖人は「こころは蛇蝎のごとくなり」ヘビやサソリを見たときのような

ぞっとする心だと、おおせられているのです。

よくよく仏教という法の鏡によって、真実の自己を見せていただきましょう。
先日のNHKクロ-ズアップ現代について語らう
3月1日、NHKのクローズアップ現代で、

寺離れの実態が、報じられました。

しかし、そこは公共放送、バランスをとろうとして

「活動を始めた僧侶もあります」

という例も紹介されていました。

でもそれは、就職の斡旋だったり、悩み事相談や、

自殺をとめるカウンセリングなど、

それは、本来の仏教の果たすべき役割なのでしょうか。

政治であり、心療医学の担当であって、

僧侶の果たすべき務めではないでしょう。

テレビを見られた皆さんと、いろいろと語り合いました。
近江で二河白道について語り合う
今日は、旧の近江町で、善導大師の有名な二河白道の譬喩について、

学びました。

親鸞聖人も、教行信証に、引用しておられ、その詳しい解説は、

愚禿抄にも、お書きになっておられます。

ちょうど、今日の会場となったお宅には、床の間に、

二河白道の譬喩の掛け軸がかけられておりました。

初めて参加された方も、じっとこの掛け軸に見入っておられ、

それについての解説に、聞き入っておられました。

或る人は、

「この絵は、前にも見たことあったが、三途の川を渡る絵だと

勘違いしていた。いやあ、聞かなきゃ分からんもんやなあ」

と、驚いておられました。

そうなんですね。

自分で勝手に、思い込んでしまっていることがあります。

長年、そう思っていますから、今更、誰かに質問しようとか

教えてもらうこともありません。

けれども、聞法を重ね、信心の沙汰で、大いに語り合うことで、

思わぬ聞き誤りをしていたことが知らされます。

「真宗繁昌の根元なり」と言われる、信心の沙汰。

大いにさせていただきましょう。
甲良で語る 仏説譬喩経のおはなし
きょうは甲良町で、仏説譬喩経に、お釈迦様が教えられた、

人間の実相について、学びました。

特に今日は、激しい無常の嵐が、吹き荒れている現実について

語り合いました。

ニュージーランドの地震では、ほんの一瞬の揺れで、

あっという間に、建物が倒壊し、たくさんの尊い人命が失われました。

本日付けで、「救助活動」を終え、「遺体収容作業」に移る、とのこと。

被災者の家族の方も、なすすべもなく、引き上げていかれたそうです。

どんなにこそ、無念なことでしょう。

しかし、そんな悲劇が、いつ私の上にふりかかってくるか、わかりません。

しかも、「今日とも知らず、明日とも知らず」と蓮如上人仰せのとおり、

早ければ、今日か、明日にも、無常の嵐は襲い掛かってくるのです。

これほどの一大事があるでしょうか。

「まことに死せんときは

 かねてたのみおきつる妻子も財宝も

 我が身には一つも相添うことあるべからず。

 されば死出の山路のすえ、三途の大河をば

 ただ一人こそ、行きなんずれ」(御文章1帖目1通)

 よくよく後生の一大事を念じて、仏法を聞かせて頂きましょう。

★今日は、滋賀県内、朝は、ちょっと雪降りでしたね。

 三寒四温、急に寒くなることもありますので、

 体調や、道路状況には、気をつけましょう。

 私も、今日は、愛車の点検、整備に、行ってきました。

 滋賀日産の彦根店サン、有り難うございました。おかげで、快調です。
愛知川で「平生業成」を語らう
きょうは、愛荘町、愛知川といったほうがなじみがあるでしょう。

そこで、親鸞聖人の教えの一枚看板、

「平生業成」について、学びました。

平生、生きているただ今、往生の業事、成弁する、

いいかえれば、平生に、往生の大事業が完成すると、

親鸞聖人は、教えていかれました。

何のために生まれてきたのか、

何のために生きているのか、

苦しくとも、なぜ自殺してはいけないのか。

これが、生きる目的ということですが、

親鸞聖人は、それをハッキリと教えていかれたのですね。

この人生、まじめに考えれば考えるほど、

「いったい、何のために、生まれてきたのかな?」

と、考え込まずにおれません。

その明快な回答が、親鸞聖人の教えの中に、あったのです。

まさに、世界の光ですね。

ミニ情報・・・・・愛知川の、平和堂近くにある、文栄堂という

         書店のコピー機は、白黒1枚5円!

         これは、おトクです!
豊公園で語らう
きょうは、長浜文化芸術会館で、お昼からの勉強会。

「諸行無常」について、語り合いました。

ニュージーランドの地震で、被害にあわれた日本人は

多くは19歳とか、20歳とか、若い方が多いですね。

「老少不定(ろうしょうふじょう)」といわれるとおり、

老いたる者が先に死ぬか、少、すなわち若い人が先か、

まったく決まっていないのが、この世のならいです。

だから「死」とか「後生」といっても、誰にとっても

他人事ではないのですよ。

こわいけど、おそろしいけど、できることなら考えたくないことだけど

これは、厳しい現実なのです。

仏教は、この厳粛な事実を直視するところから、始まります。

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