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ともに人生を語らう友を求めて さすらいの親鸞学徒 つれづれなるままに
青年大会は「なぜ生きる」についてでした
6月3日、富山県の親鸞会館で行われた青年大会、参詣しました。

九州からも、貸切バスなどで、多数、参詣されましたね。

みなさん、ご苦労様でした。

今回の演題は「なぜ生きる」。

14年連続で、自殺者3万人以上の現実は、

いかに生きることが苦しいか、

生きる気力が折れてしまうほど、人生の荒波が激しいかを

教えてくれています。

そんな中、苦しくとも、

なぜ生きねばならぬのか?

みんなが知りたい、この疑問に、

親鸞聖人は、ハッキリと答えてくだされています。

「難思の弘誓は

   難度海を度する大船

 無碍の光明は

  無明の闇を破する慧日なり」

        (教行信証)

「生きる目的は、金でも名誉でもない。

 人生の苦悩の根元を断ち切り、

 人間に生まれてよかった!

 この身になるための人生だったのかと

 生命の歓喜を獲て、

 未来永遠の幸せに生き抜くことだよ」

詳しく教えて頂いた、一日でした。

さあ、九州の皆さんにも、大いにお伝えしていきたいと思います!

明日は、瀬高でのご縁です。

8日、9日は、大分、飯塚と出かけ

10日には、柳川市民会館に行きます。
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台風発生?もうそんな季節か
南方では、台風発生!のニュースが出ています。

ああ、もうそんな季節になったのですね。

「1月はいく

 2月はにげる

 3月はさる」

と言って、月日の経つのは早いことを言われますが、

1月、2月だけでなく、毎月、毎日が、あっという間に過ぎていきます。

「いたずらに 過ぐる月日は 多けれど

   法(のり)を求むる ときぞ少なき」

大切な日々、出世の本懐に向かって、日々、聞法精進したいものです。
オウム真理教 NHKで連夜の特集 こんなのが仏教? 宗教?
NHKが、オウム真理教について、連夜の特集をやっています。

「未解決事件 File.2」です。

オウム真理教、こんなところで「真理」という言葉を使うのはイヤなので

単に「オウム」と書きます。

オウムの教義よりも、反社会的な行動、たとえば、拉致、監禁、殺人、テロ行為などに

マスコミや世間の非難は集まっています。

もちろん、それは、その通りです。

加えて、なぜ殺人を肯定するに至ったのか、にも、分析がなされています。

一時期有名になり、今回の特集でも頻出する「ポア」なる言葉もそうです。

特集でももっぱら、そういうところに焦点が当たっておりました。

しかし、では、その教義そのものは、どうだったのか。

あれが仏教なのか。あれが宗教なのか。

入信する若者に、あのオウムの教義のどこがどう間違いなのか、説得できる人があるのか。

鋭く、迫って欲しかったと思います。

まずもってあれは、釈迦の教えではない、仏教とは全く反するものであります。

用語として、サンスクリットを多用していて、それらしく見せかけているだけです。

断固、破邪顕正しなければならないのは、当然です。


いっぽうで、ああいう狂義に迷っていく人がいるのも確かです。

溺れる者は、わらをもすがる。

喉が渇いた人は、泥水だとわかっていても、飲まずにもおれないのです。

「泥水、飲むな」といくら言っても、死ぬほど乾いている人は、飲むでしょう。

それよりも、きれいな清水を、ふんだんに与えることが、はるかに大事です。

全人類が、未来永遠の幸せに救われる、弥陀の本願、ほんとうの親鸞聖人の教えを

一刻も早く、お届けせねばならないと、思わずにおれません。
お仏壇は先祖まつるところでしょ。えっ、違うの?
久留米で縁正の方の質問に答えていて、やはりと思いました。

「お仏壇にどんな気持ちで参ればいいのですか」

という質問でした。その方は

「お仏壇は、先祖をまつるところ」

という思いだったのです。他にもそういう方が多いでしょう。

しかし、浄土真宗では、お仏壇には、

無上仏、阿弥陀仏を御本尊としてご安置致します。

先祖の霊に手を合わせるのではなく、無上仏を礼拝するのです。

まず、この点をハッキリさせる必要があります。


阿弥陀仏に、では何を助けて頂くのか。

それは、生死の一大事、後生の一大事の解決一つと、教えて頂きます。

それはまた人間に生まれてきた目的、絶対の幸福に救われるということです。

今日一日、生きる目的も、それ以外にはない。

そう心を定め、お勤めをし、五正行をさせて頂くところがお仏壇です。


先祖の霊に手を合わせている、と思っていては、

そんなこと思いもしないし、考えもしません。

「お仏壇には、阿弥陀仏がご安置されているのですよ」

まず、ここをハッキリさせねばなりません。
有っても無くても同じく苦しい~
「有れば有るで苦しみ

 無ければ無いで苦しむ。

 有無同然である」    (釈尊『大無量寿経』)

金や財産、地位や名誉など、無ければ無いで苦しいですが

有れば有ったで、有ることが苦しみの原因になります。

「壁一重(かべひとえ)

 子 有って泣き

 無くて泣き」

江戸時代の長屋の風景を詠んだものですが、

今日でも、子供が有って泣いている人や、

子供が無くて泣いている夫婦もあります。

「社長はいいなあ」と部下はうらやみますが、

「楽は下にあり」とため息をつく人もいるのです。

金メダルをとったプレッシャーに負け、

以後成績が全く振るわなかった選手もあります。

「有無同然」をしみじみ知らされますね。

ホークスの小久保が、昨日から戦線離脱、2000本安打は

確かに大記録ですが、それを目前に、プレッシャーも大変でしょう。

野球といえば、盗塁世界一になった福本豊選手に、

国民栄誉賞が贈られる、という打診があったとき、

福本選手が言ったそうです。

「そんなんもろたら、立ち小便も、でけへんやないか」

名誉には、名誉の、重圧がありますよね。

ノーベル賞をもらい、一気に有名人になった田中耕一さんが、

早朝から深夜までの、取材攻勢に閉口して、

「こんなんなら、もらうんじゃなかった・・・」

とつぶやいたそうです。

無いのも苦しい、でも有ってもまた苦しい

苦しみの原因は、そこ以外にあるということです。

それを仏教では、無明の闇=後生暗い心と教えられています。

今日の筑紫野市生涯学習センターでの勉強会のテーマです。
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